11月4日 2018
今日は日曜日かつ秋のヴァカンス最終日(たぶん)
本日はパリの日曜日について書いてみますね。
朝、パンを買いに出て朝食をいつもよりゆっくり済ませて向かうはマルシェ。
だいたい10時前後が人出が多いように感じます。遅めの朝食を買いにマルシェもついでにという人は9時頃から。何れにしてもマルシェへ行くのが過ごし方のひとつ。
そして近隣にマルシェのない人はというと、地下鉄乗ってレンヌのビオマルシェに行く人もある(左岸の場合)でもほとんどが近隣のお店でいつものように済ませているように思う。そして午後はどのお店も休みになり、お店の人も市民同様に、しばしの休暇モードに入っています。
もう日本では死語になってしまった「近隣商業地域」つまりは「商店街」がパリでは今も健在。だいたいどの地域も規模の大きさこそあれ基本10分も歩けばどっかはある。そしてこんなカートをだいたい持ってきています。
冷凍食品のPICARDのお店で売っているものは中がアルミになっているので、保冷効果を維持できるとか。
私の住んでいるエリアは恐らく10分圏内にピシャールのある近辺を入れても5か所ほど確認しています。
お肉屋、魚屋、そして八百屋。フランスらしくパン屋もチーズ専門店も。
そして花屋や小さな雑貨店も。場所によってはカルフールやモノプリなどの大きなスーパーもあるにも関わらずしっかり残っている。
かつての日本もそうだったのではないでしょうか。
コンビニができる以前、イオンなどの大規模スーパーが出来るまでの大店法という法律でそうした地域の小規模焦点を守っていた頃には確かに存在していた。
そして週末になると特売をして自転車や歩いてお年寄りから若い夫婦が買い物に来ていたことを子どもながらに覚えています。
パリのような個人商店が集まり商店街を形成しているところ、公設市場のような一つの建物の中に小さな商店が集まっていたりと形態はそれぞれ。
買い物だけでなく、ちょっとした地域の社交場的な役割もしていて街に人がいた。
確かにいたのである。もうそうした記憶のある世代は随分と年齢が高くなってしまったけれど確かにそういう時代があった。
それが崩壊し、地域が崩壊し、街から人が消えた。商店街がシャッター街になった。
街のイオンが撤退し、買い物する場所がなくなった。孤独死。
いまの日本が抱えている問題の多くが地域から小さな商店が消えたことに起因しているのではないだろうか。
かといって、若い世代に急にやれと政策を打っても「確実に暮らせるのかわからない」リスクがある限りは誰もやらないだろうし、そうしたことをかつてやっていた元商店主も年を取り引退しているから今さらやるのは無理があろう。
今思うと確かに値段は高かったのかもしれない。でも値段だけでない機能が小さな商店には間違いなくあった。大切な何かを失ってしまったのはまちがいないなとパリに暮らすようになって感じることである。
パリもだんだんと変わっていき、冷凍食品の専門店すら出来る次第。
マルシェの経営者も結構年齢が上がっているようだ。
これから何を大切にするのか、日本の失敗から学んで欲しいなぁと切に願う。
本日も見に来てくださりありがとうございます。
今日のお菓子はタルトポンム。
ピシャールの隠れていない名物です。そしてパリ1の安さです。
でも当たり外れが大きいのがたまに傷。