フランスはどこへ行くのか「連帯」から「分断」へ
ノートルダム大聖堂の火災からはや5日。
作業員が帰ってから1時間の事故。まあフランスは工事作業でもなんでも5時で仕事が終わるから当然だろう。
大統領選挙、マクロンVSルペンの争いはフランスの「分断」を象徴している争いでした。
私自身はマクロンが今回ルペンについた側をしっかりケアしないとフランスは「分断国家」となるだろうと思っていた。
しかしながら昨年からのジレジョンヌに象徴されるようにフランスはどんどん分断化を進めてしまい、ジレジョンヌに反対する、正しくはジレジョンヌに付随して行われる壊し屋への反対のデモも行われる始末。
デモへの対抗がデモというのはなんともな国家。そこでの話し合いというのは全く聞かない。
そして火災の後も「分断」は続いている。
それは早くの復旧を願う資産家たちの巨額な寄付だ。
集まった寄付金は貧困層のケアに回すべきだと。
おいおいそれは政治がやることでこのお金を使うべきところか。アホすぎる。
じゃ、再建はしなくていいのかというと当然ながらそれは「Non」だ。
資産家はそんなに金を持っているのがダメだから貧困層にまわせという議論や大規模な税額控除もまた批難の対象となっている。
当然ながら富裕層は税額控除をしないというに決まっているだろうのにそういう議論は後まわし。ルイヴィトングループのアルノーさんが「フランスでは(公益となる)何かをする時でさえ批判され、非常に悩ましい」と言っていることをこの記事は伝えている。
じゃ、再建はフランス国家の税金で全額やりましょう とマクロンが言おうもんならまた新たなデモが起きるだろう。国民全員で寄付しましょうなんて呼びかけにも「Non」だろう。
こうした不毛な自分の権利だけを主張する困った場面は毎日見ない日がないくらいだ。
先日も夜の23時くらい、みんな早く帰りたいのに不毛な議論でバスが出発できず他所からの国民が「こいつらアホだ」という目で見ているのに気づかない始末。フランスの議論は暴力になることもあるのだろうけどお互い自分の権利を主張し言いたいことを言い合うだけの議論だからそこに何らの進歩がない。
そしてマクロンもだけど政治も不毛で尖塔を新しいものに変えてしまうコンペもやるとか。政治家の思いつきも自分のことしか考えていないフランス人らしい。そりゃ連帯の機運もすぐに消えちゃうよね。いまそんなこと言う前にやることあったでしょうと思う。
既に「本当に再建できるの?」と言う話すら出ているパリ。
私自身もフランスの工事の遅さから考えて再建には5年じゃ無理だろうと思っている。10年してももしかしたら今のまんまかもしれないと思う。
ノートルダム大聖堂は言わずとも世界的なフランスの観光資産であり、象徴であります。世界が泣いたこの事件をもう少しきちんと自分のこととして捉えられないとフランスは完全に終わるだろう。火災も、その後の復興も世界からこれからも注視は続くだろうから継続した問題解決が求められるそうした場面のスタートからこれでは先が思いやられる。
あまりにも残念な事件の後もさらに後味の悪い残念なことが続くものだ。
歴史から学べないものは滅びるとはよく言ったものだ。
私は今回街を歩いて見つけたこの写真を忘れることはないだろう。
この火災はフランスが抱えている問題という火種そのものに見え、右側からの放水がとても意味深に見える。
ここから学ぼうよ、フランス。