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今日のパリ 今日のパン(パリのオジサン)

パリから日々の徒然を〜もうしばらく日本です〜

盛岡はどことなく海外の雰囲気漂う街

新幹線で盛岡へ行きました。2回めの東北です。

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盛岡駅

 

盛岡駅から東へ少し歩くと北上川が流れ開運橋がかかっています。

開運橋は、別名「二度泣き橋」というそうです。首都圏などからの転勤族の間で語られたのが由来で、初めて盛岡へ訪れ開運橋を渡る際「遠く離れた所まで来てしまった」と一度泣き、転勤期間を終えて盛岡を去ることになり盛岡駅へ向かう途中に再びこの橋を渡り、二度目は離れるのが辛くて泣くというもの。古くから語られるエピソードで、東北新幹線開業以前に広まったようです。 wikiなどから参考。

 

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開運橋

橋を渡り、大通三丁目の信号を超えると車両は駅方向への一方通行の「大通り」という名前とは似つかわない片側一車線の道路があり両側に飲食店などが立ち並ぶ歓楽街になりさらに進むと盛岡城址へ出ます。大通りはここが元城下であったことを想像させる道路の作りで戦災にあっていない盛岡ならではの作り。

 

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大通り

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大通り

これってヨーロッパにある近世の産物の鉄道の駅を旧市街に作ることができず、新しく開発した新市街に駅を設けた街と同じ都市開発なのではないでしょうか。

スペインの都市トレドも駅は城壁に囲まれた旧市街ではなく新市街に作られ、アサルキエル橋で結ばれています。盛岡を歩いて真っ先に思ったのがトレドでした。

 

多くの都市が新たに出来た駅を中心に街が再形成されていき、旧来の街の名残を残しているところの方が少なくなっている中で、ここまで残っているのは珍しいかもと思います。しかも県庁所在地である県内一の大都市である盛岡市で。

 

盛岡で作られ発行されている冊子「てくり」には盛岡カルチェラタンとして左岸を中の橋 → 紺屋町、葺手町とし、右岸を上の橋 → 内丸、桜山かいわいとして掘り下げています(てくり14号)

 

旧城下の街には明治の時代の建物など盛岡市の街を形成してきた古い建造物や、旧城下の頃の町名をそのまま残したり、町名に関する看板を掲げたりと行政も積極的に関わっていることもわかります。

 

特筆すべきなのが、盛岡市が定めた条例である盛岡市自然環境及び歴史的環境保全条例というのが昭和46年に制定されていることです。バブルの頃には既に体制も出来上がって歴史的な建造物を行政が人々に関心を払ってもらうために看板を設置し保存にも積極的だったようで壊されずに残ったようです。

 

3年前に行った時はどうやら保存された盛岡の最後だったようです。というと寂しいですが。。。。

 

残念なことに2019年11月に行った際はコインパーキングに姿を変えた空き地が市内の各所で目立つようになっていました。街の顔だったお餅屋さんも、大好きだった正食普及会のロシアビスケットなどなくなってしまっています。中央バター商会が入っていたあの趣のある建物はドーミインホテルに。

 

とはいえ盛岡はまだ個人の経営する八百屋や精肉店などが残っていてコンビニも少なく、大型スーパーも少なくパリのようでトキメキます。

 

街をどうするのかは街で暮らす人が考える問題で、私のような旅行者はこうした街のあり方を通して自分の暮らす街をもう一度見つめ直すことでいいバランスを保てそうです。そして観光客が過度な観光地にならないよう気を配り、一方でお金を落としていけば雇用という街を作る大切な要素が充実するのでぜひ出かけて欲しいなと思います。

 

 

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どことなくエッフェル塔に見えなくもない電波塔

 パリのようなキンとする冷え込みもいい感じの11月。