もしもドラクロワが50年あとに生まれていたら
ちょっと前に流行ったタイトルパクってみました
もしもドラクロワが50年あとに生まれていたら
フェルディナン・ヴィクトール・ウジェーヌ・ドラクロワ
(Ferdinand Victor Eugène Delacroix)
と聞いてわかる人はかなり少ないと思います。
でもこれを描いた人と聞けば あ〜と思うでしょ
今日はそんな画家の話です
今月23日までルーブル美術館でドラクロワ展開催です
3月の終わりから開催されていた本展もいよいよ今月23日が最終日です。
そしたら今月の月曜日、木曜日、土曜日など夜は無料だよというお知らせが
Ces nocturnes exceptionnelles gratuites auront lieu les lundis 2, 9, 16 et 23 juillet, jeudis 5 12 et 19 juillet, samedis 7, 14 et 21 juillet et le dimanche 22 juillet.
18h à 21h45なので、結構しっかり見られますが、1時間あれば十分でしょう。
私にとってのドラクロワ
申し訳ないけどあの絵があまりに有名で、お腹いっぱいになってしまい他の絵も描いているんだけど歴史の一場面だったり、宗教画っぽくって今ひとつという感じです
この絵もフランス国旗が描かれていなかったらそこまで有名な絵になったかなと思います。
ルーブル美術館の意図
今回、ルーブル美術館はほとんどの人が持っていたイメージを払拭すべく、企画をされているようでした。
作品を見せる順序として、見せたいものを1番先に持ってくるか、1番後に持ってくるかという問題があります。
ルーブル美術館は何を伝えたいのかがぼけないように、先ずはあの絵を1番先にどーんと見せて、その印象を少しずつ消そうと工夫していました。
彼が美術の歴史上果たした重要な役割について私たちに気づかせるために。
ドラクロワが残した絵
彼は大変多彩な画家でした
ミソロンギの廃墟に立つギリシア
歴史の一場面ですが、よく見ると石の下敷きになり誰かが亡くなっています。
圧倒的な画力です。
墓場の少女
墓標が細かく描写されています。
どことなくモナリザのように、人物と背景がコラージュのようにも見えます。
銅版画も好んでやっていたようです。
レンブラントのような光の魔術師ですね。
注目すべきは
これ、どう見ても印象派ですよね
彼は外で写生やスケッチをしていました。
そして膨大な日記を残し、いつどんなことがあったか詳細に記録していました。
19世紀のフランスの歴史を彼の日記が語ってくれています。
スケッチ帳
ルノワールみたい
エトルタ
モネみたいですね。
まとめ
ここまで書けばおわかりですが、ドラクロワがいかに印象派の画家たちに影響を与えていたのかがつぶさにわかります。
ドラクロワ以前に画家といえばといっても数人名前が挙がるだけというフランス絵画史上において、ドラクロワは突出した画家だったようです。
そして歴史画や宗教画といった古来のモチーフから脱却し、アトリエから出て外で写生をするといったこれまでになかった活動をしています。
サロンには最初出しながらも、サロンを飛び出していくというところも、サロンに入選できずそれで自分たちでサロン(第一回印象派展)を作ってしまった印象派たちにどれだけ勇気を与えたことでしょう。
ドラクロワがあと50年遅く生まれていたら印象派はなかったかもしれません。
が、遅く生まれていたらオルセーにあるようなモネやルノワール、ゴッホ、といった有名作品をバンバン出していた作家と同じだけいい作品を出していただろうな。ドラクロワが描く景色や人物の絵をもっともっと見たかったそう思いました。
ドラクロワが亡くなったのが1863年、第一回印象派展が1874年。
もしも や たられば はないのかもしれないけど、この展示はドラクロワという画家を再認識させてくれた大変素晴らしい企画展で、ルーブル美術館のキュレーションの高さを改めて感じさせてくれました。
無料の時間でも結構ガラガラですからぜひ行ってみてください。
行った人はぜひ皆さんに吹聴して、ドラクロワを見直してもらいましょう。
ちょっと語り過ぎましたが最後までありがとうございました。
ドラクロワ自画像。
会ってみたかったな。