PICASSO Bleu et rose
オルセー美術館で昨年9月から今年1月まで開催されていた企画展です。
ピカソ美術館と協力してピカソの青の時代に焦点を当てた1900年から1906年までの作品で構成された企画となっていました。
1881年に生まれたピカソは1900年にパリへ渡ります。
親友カルロス・カサヘマスとモンマルトルでアトリエをシェアしますが、カルロスが拳銃自殺したことを境からピカソは青を使った絵を描くようになりました。
ざっくりとまとめるとこんな経緯でピカソの青の時代が始まり、ピカソに新しい恋人ができた1905年から1906年頃からピンクを使った明るい作風に戻るまでの間が青の時代です。
個人的には青の時代は単純に青っぽい色というより、かなり吟味した結果編み出した青であることと、人物が暗がりの中でランプで照らし出されたかのような劇場的な見せ方をした描き方であること、描いている対象にピカソ自身の心境をかなり色濃く投影しているようで好きな作品が多いのです。
ピカソ美術館にたいてい展示されている自画像
と
この2枚はご覧になったことが多いのではないでしょうか。
ラ・セレスティーナについては、私自身この絵自身もピカソの自画像なのではないかと勝手に思っているくらい描いた頃のピカソの心情が投影されているように感じます。
オルセー美術館の企画なので世界中から作品が集められておりキーとなる絵をほぼ見ることが可能でした。
青の時代の作品は早熟だったピカソの技量の高さを改めて感じさせてくれます。その後の作品からいわゆるキュビズムへ変わっていく過程で、当然なのだけど技量が高いからこそ破綻なく描けている訳なのでそうしたことに気づかせてくれる青の時代の作品が持つ重さと、ピカソ自身の気持ちの投影というものはキュビズムになっても感じられるわけでそうした気持ちの投影というものは青の時代から始まっているのではということも青の時代が持つ重要さだと思います。
ゲルニカに代表されるキュビズムというものがどうして生まれたのかということは、ピカソ美術館が所蔵している膨大なピカソの下絵も含めての作品を毎月第一日曜日に何気なくでも眺めているとそれまでに描かれてきた作品に変遷を垣間見ることができてなんか納得するものがあり、よりピカソが好きになりました。
1人の作家の作品をここまで一箇所で見ることができるピカソはある意味特殊なのかもと思っていましたが、ウイーンという街で所蔵しているクリムト、エゴンシーレもですし、フェルメールを多く所蔵しているオランダでももしかしたら毎月見ていると違う発見があるのでしょうね。でも多作だったピカソは突出しているのかな。
写真を撮ったと思っていたのですが、どこ行っちゃったんだろうと思っていましたらしょぼいスマホの中から見つかりましたんで記事をアップしました。
オルセー美術館の企画展もルーブルの企画展もどちらもかなりの確率でしっかりとしたキュレーションがなされた秀逸なものが多いのでぜひ見てみてくださいね。
何と言ってもオルセーやルーブルの企画展は世界中のプライベートコレクションも含めてかき集めてこれるパワーが桁違いなので普段決して見ることができない希少な作品が見られるチャンスがあるかもしれません。残念なのですが日本へはまず来ない作品が見られるのは間違い無いですから。
ここにもいいピカソありました。